2011年 07月 08日
WSが終わって-文字のこと |
半月に亘るワークショップツアーが終わり、また家にへばりつく生活へ。
ブログへのアップが気になりながらも、なかなか気軽に書けないでいる。
しかし、昨日ブログを待ってくれている人がいると知り、小分けにしてでも何かアップしていこうと思った。

「『書くこと』の感覚を磨く」という2日間のWSでは、私もところどころで、ホワイトボードに貼った模造紙に大きめの文字を書いていく時間がある。どの会場でもそこは楽しみながら書いた。while students were doing their task.
文字を大きく書くのはめちゃめちゃ気持ちが良い。もっと大きく書きたい。いや、書くのだ!before long!

これも同様。下書きや予定は何もなし。その時に湧いてくるものが文字になる。後から見て「あちゃ〜」と思うこともよくある。特に最後にスペースが足りなくなったりというのは、しょっちゅうのこと。

上に同じ。マニピュレーションを使って書く線を紹介したあと、その線とヘアラインを使った文字を書いてみた。オートマティックペン使用。

平筆フリーライティングは1日のみのクラス。後日各自で自習できるようにと考えたカリキュラムにした。
ストロークの課題には「バーコード」「田植え」「お花」「グルングルン渦巻き」「鞭」など、好き勝手に面白そうな名前を付けておいた。何でも楽しくやらにゃと思っている。

「文字空間をデザインする ネガ/ポジとその周辺」の2日間クラスは、参加者の机間を飛び回っていた気がする。皆さんそれぞれのデザインに一生懸命だから、それぞれに頭を切り換えて対応。各机で面白いものを沢山見せてもらった。
書くことって技術も大切だけど、それを包む(それの受け皿になる)精神面や感覚的なこと、そして心がとても重要だと思う。これはなかなか教えても伝わりにくい。本当はそこが一番伝えたいところなのだが、まだまだ私も若輩者(??)なのだろう。
「話すように文字を書く」ができたら良いなと思う。
話す言葉は自分の中から湧いてくる。
話す声のトーンや大きさ、テンポ、リズムなどなどは話す言葉に合わせて自動的に調整している。
だからそんな風に書けたら言うことなしだと思う。
ひとまずきれいな文字を目指したら、その先は自分(体と心)がしびれる文字を目指そうじゃないか。それが究極の「美しい」文字であろうと、のたうちまわる文字(線)であろうと、書いている自分がしびれてこそ「きれいな」文字超えだと思う。(ついでに、「きれいな」文字と「美しい」文字は別物だと思っている)。もちろん独りよがりは良くないだろう。いつも客観的な視点を忘れずにいよう。と、あらためて自分自身に投げかけておく。
あ、書き始めたら小分けどころかこんなに長くなってしまった...。
清水裕子ウェブサイトはこちらから
ブログへのアップが気になりながらも、なかなか気軽に書けないでいる。
しかし、昨日ブログを待ってくれている人がいると知り、小分けにしてでも何かアップしていこうと思った。

「『書くこと』の感覚を磨く」という2日間のWSでは、私もところどころで、ホワイトボードに貼った模造紙に大きめの文字を書いていく時間がある。どの会場でもそこは楽しみながら書いた。while students were doing their task.
文字を大きく書くのはめちゃめちゃ気持ちが良い。もっと大きく書きたい。いや、書くのだ!before long!

これも同様。下書きや予定は何もなし。その時に湧いてくるものが文字になる。後から見て「あちゃ〜」と思うこともよくある。特に最後にスペースが足りなくなったりというのは、しょっちゅうのこと。

上に同じ。マニピュレーションを使って書く線を紹介したあと、その線とヘアラインを使った文字を書いてみた。オートマティックペン使用。

平筆フリーライティングは1日のみのクラス。後日各自で自習できるようにと考えたカリキュラムにした。
ストロークの課題には「バーコード」「田植え」「お花」「グルングルン渦巻き」「鞭」など、好き勝手に面白そうな名前を付けておいた。何でも楽しくやらにゃと思っている。

「文字空間をデザインする ネガ/ポジとその周辺」の2日間クラスは、参加者の机間を飛び回っていた気がする。皆さんそれぞれのデザインに一生懸命だから、それぞれに頭を切り換えて対応。各机で面白いものを沢山見せてもらった。
書くことって技術も大切だけど、それを包む(それの受け皿になる)精神面や感覚的なこと、そして心がとても重要だと思う。これはなかなか教えても伝わりにくい。本当はそこが一番伝えたいところなのだが、まだまだ私も若輩者(??)なのだろう。
「話すように文字を書く」ができたら良いなと思う。
話す言葉は自分の中から湧いてくる。
話す声のトーンや大きさ、テンポ、リズムなどなどは話す言葉に合わせて自動的に調整している。
だからそんな風に書けたら言うことなしだと思う。
ひとまずきれいな文字を目指したら、その先は自分(体と心)がしびれる文字を目指そうじゃないか。それが究極の「美しい」文字であろうと、のたうちまわる文字(線)であろうと、書いている自分がしびれてこそ「きれいな」文字超えだと思う。(ついでに、「きれいな」文字と「美しい」文字は別物だと思っている)。もちろん独りよがりは良くないだろう。いつも客観的な視点を忘れずにいよう。と、あらためて自分自身に投げかけておく。
あ、書き始めたら小分けどころかこんなに長くなってしまった...。
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by letter-arts
| 2011-07-08 18:41
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