2014年 02月 28日
道が続いている実感 |
前回に続き、KCF展覧会に出したもう一つの作品について、こちらも後日分かったことと一緒に書いてみたい。
この作品は大理石(マーブル)を彫刻したものだ。展示中は石の裏側からライトをあて、厚さ10mmの大理石を、彫った深さによってうっすらと光が透ける状態でご覧いただいた。陰影の付け方は不規則で、文字の全貌もくっきりと見えるような作品ではない。
この元になっているのは、2010年に鉛筆類で作ったこの作品だ。
これを石に彫ったらどうなるのだろうか。レターカッティングを始めた頃には不可能と思えていたことだが、石を彫り始めて4年経った2013年夏、チャレンジ魂がうずいた。そして元の作品の鉛筆部分を、その陰影のとおりに彫り下げてみた。
展示時にはどこからライトを当てるのがベストか、事前に考えておくようにと師匠から言われていたので、作業の合間にライトの位置や角度を変えて試していた。ふとしたきっかけで裏から光が当たったとき、その光景に釘付けになった。そして展覧会にもその形で展示した。真っ白で薄い大理石だからこそできた見せ方だったと思う。
後日、2010年の鉛筆作品を元に作ったポストカードを見る機会があり、何気なく眺めて驚いた。
元の作品の明暗をPhotoshopで反転させて作ったこのポストカードと、展示した石作品。ほんのりと灯りが漏れて見えているような様子が全く同じになっていた。このポストカードの詳しい記憶すら自分にはなかったが、その時パソコン上で面白いと思った景色を、意図せずして数年後に石作品として展示していたのだ。石の上部から光を当てていたら、同じ見え方にはなっていなかった。
自分の中にある美意識がぶれていないこと。そして探し求めて前進していることを確認できた出来事だった。
原文はラテン語。IN INTERIORE HOMINE HABITAT VERITAS
真理は人のうちにあり。 St. Augustine
清水裕子ウェブサイトはこちらから
この作品は大理石(マーブル)を彫刻したものだ。展示中は石の裏側からライトをあて、厚さ10mmの大理石を、彫った深さによってうっすらと光が透ける状態でご覧いただいた。陰影の付け方は不規則で、文字の全貌もくっきりと見えるような作品ではない。
この元になっているのは、2010年に鉛筆類で作ったこの作品だ。
これを石に彫ったらどうなるのだろうか。レターカッティングを始めた頃には不可能と思えていたことだが、石を彫り始めて4年経った2013年夏、チャレンジ魂がうずいた。そして元の作品の鉛筆部分を、その陰影のとおりに彫り下げてみた。
展示時にはどこからライトを当てるのがベストか、事前に考えておくようにと師匠から言われていたので、作業の合間にライトの位置や角度を変えて試していた。ふとしたきっかけで裏から光が当たったとき、その光景に釘付けになった。そして展覧会にもその形で展示した。真っ白で薄い大理石だからこそできた見せ方だったと思う。
後日、2010年の鉛筆作品を元に作ったポストカードを見る機会があり、何気なく眺めて驚いた。
元の作品の明暗をPhotoshopで反転させて作ったこのポストカードと、展示した石作品。ほんのりと灯りが漏れて見えているような様子が全く同じになっていた。このポストカードの詳しい記憶すら自分にはなかったが、その時パソコン上で面白いと思った景色を、意図せずして数年後に石作品として展示していたのだ。石の上部から光を当てていたら、同じ見え方にはなっていなかった。
自分の中にある美意識がぶれていないこと。そして探し求めて前進していることを確認できた出来事だった。
原文はラテン語。IN INTERIORE HOMINE HABITAT VERITAS
真理は人のうちにあり。 St. Augustine
清水裕子ウェブサイトはこちらから
by letter-arts
| 2014-02-28 18:42
| 石